Support Member Interview

10周年を記念して、FINLANDSを支えてきてくれたサポートメンバーに
今までの活動を振り返った座談会をしていただきました!
インタビューは記念博TOURにて販売開始する
FINLANDS初のZINE『FINLANDS BON』に掲載しております。
 
本ページではそのインタビューを少しだけ公開しております!
全編は『FINLANDS BON』をぜひチェックお願いします♪
 
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きっとサポートだからこそ、より見えるものがあるのだと思う。然るべきタイミングでFINLANDSの歴史に加わり、寄り添い続けてきたサポートメンバーならではの視点から、このバンドと塩入冬湖という存在の魅力をたっぷりと紐解いたスペシャル座談会。10周年だからこそ実現したこの企画、FINLANDSの意外な一面や面白エピソードも満載でお届けします。これまであまり知られてこなかったメンバー一人ひとりのキャラクターも存分にご堪能ください。
 
 
 
——まずはみなさんがサポートメンバーとしてFINLANDSに参加されることになったきっかけから教えてください。澤井さんは2014年、『atlas』のレコーディングから、いちばん長く関わっていらっしゃいます。
 
澤井良太(G.):もともと自分のバンドと冬湖の前のバンド(THE VITRIOL)で対バンしたりもしてましたし、お互いに同じ系列のレーベルからCDをリリースしたりしていましたからね。なのでFINLANDSも結成のときから知ってはいて。ただ、どういう経緯でサポートすることになったのか、よく覚えていないんですよ。俺が弾かせてくれって言ったのか、弾いてくれって言われたのか……
 
鈴木:そこ、重要じゃないです?()
 
澤井:ホント覚えてない()。『atlas』に「東名怪」っていう曲があって、俺が最初にFINLANDSの制作に携わったのがその曲なんです。それだけは覚えていて。
 
——気がついたら一緒にやってた、みたいな?
 
澤井:そうですね。もともと仲良かったし、っていう。その頃からずっと変わらず、特に気を遣うこともなく、フラットな感じでやらせてもらってますね。
 
——鈴木さんは2017年からですよね。
 
鈴木駿介(Dr.):はい。520日の武蔵野音楽祭(武蔵野音楽祭 蓮の音カーニバル2017”)で出た吉祥寺SHUFFLEが最初です。そこから“LOVE Tour”が始まって、本格的に参加するようになっていった感じで。
 
——FINLANDSと交流はあったんですか。
 
鈴木:加入する3年前くらいに冬湖さんの弾き語りと、自分がサポートしている別の歌ものの現場が対バンしたんですよ。そこで冬湖さんを観て「あ、カッコいい!」って思って話しかけたんです。めっちゃ年下だと思っていたので「すげぇカッコいいじゃん!」みたいな感じで(一同爆笑)
 
彩(B.):駿くんのほうが年上に見えるもんね()
 
鈴木:冬湖さんもめっちゃ敬語で話してくれてたんですよ。で、年齢を聞いて「すんません! 俺、年下っす」って()。その流れかな、一回、FINLANDSのライブを観に行ったり。でも交流と言ってもそれぐらいで、その後は別に連絡を取ってたわけじゃないんですけど、急に「サポートやってくれない?」ってTwitterDMが来て。「やります、やります!」って二つ返事でしたね。
 
——FINLANDSのライブを観たときはどう思われました?
 
鈴木:冬湖さんの弾き語りが先だったので、FINLANDSを観たときはめちゃくちゃロックじゃん!って思いました。しかも厚着だし()。ライブ中に物販紹介のコーナーがあって、それ用にライブTシャツとか厚着の下にさらに着てるんですよ。めちゃくちゃ気合いの入ってる人たちだな、カッコいいなっていう印象でしたね。
 
——そして彩さんは2019年のコシミズさん脱退後からの参加ですが、それまでにFINLANDSと面識などは?
 
彩:最初に会ったのってイベントだった?
 
澤井:大阪で対バンしたんですよ。
 
彩:したね。当時、私はTHE LITTLE BLACKっていうバンドをやっていて、そこにちっちゃくてかわいい女子2人が「FINLANDSです!」って音源を持って来てくれて。でも、その前にも名古屋かどこかで観た記憶があるんですよ、実は。たぶんそのときが初めてだった気がする。たしか楽屋が一緒で……私もこの2人(澤井&鈴木)を見たときにめっちゃ年上だと思ったんですよ。おじさん2人に女子2人って、ちょっと大人の力が働いているバンドなのかな、みたいなイメージで()
 
澤井:わかります()
 
彩:でもライブを観たら、めちゃくちゃカッコよくてビックリしました。こんなにちっちゃい女の子たちがなんて音を出すんだろうって。冬湖ちゃんの声もギターみたいでカッコいいし。その後、THE LITTLE BLACKもサンバフリーに所属することになって、たぶんそれがきっかけで冬湖ちゃんからDMをもらったんです、「一緒にやりませんか」って。今までサポートってやったことがなかったんですけど、ちょっとやってみたいなと思って軽い気持ちでOKしてしまいました()
 
——実際、一緒に音を出してみていかがでした?
 
彩:自分で作ったベースライン以外弾いたことがなかったので、とても難しいと思いました。今までやっていたバンドってガレージロックとか洋楽っぽいサウンドを目指していたので、シンプルなベースを求められていたんですよ。できるだけ削いでいく作業というか。でもカヨちゃんのベースラインって本当に繊細で織物みたいなんですよね。それまでの私の引き出しにはなかったものなので大変ではあるんすけど、すごく勉強になってます。今までにない感じで楽しくやらせてもらっていますね。
 
——せっかくなので、みなさんの音楽的ルーツなども伺ってみたいのですが……音楽を志したのはいつ頃からですか。
 
彩:私は大学ですね。それまで楽器を触ったことが全然なかったんですよ。でも聴いたりするのは好きで、弾いてみたいなと思ったのが大学のときだったんです。で、軽音部で結成したのがWHITE ASHっていうバンドで、それがちょっといい感じになったので、じゃあ音楽でやっていけるのかなって。
 
——当時はどんな音楽を聴いていらしたんでしょう。
 
彩:いちばん好きなのはThe White Stripesかな、ベースはいないんですけどね()
 
鈴木:俺も今、そう思いました()
 
彩:あとはThe Smashing PumpkinsとかIncubusとかDinosaur Jr.とか、そのへんですかね。Toolとかも好きだし。もともとは、とあるアーティストの顔が好きで日本のビジュアル系バンドをいろいろ聴いてたんですけど、そこからMarilyn Mansonにつながって、洋楽を聴くようになって言ったんですよ。で、だんだんガレージロックとか、そっちのほうにいった感じですね。ちょうどバンドを始めたのがロックンロールリバイバルがムーブメントだったときで、The Libertinesとかあの手のバンドがすごく盛り上がってる時代だったんです。だからルーツ的にはガレージロックかな。
 
鈴木:僕は3歳からピアノを始めたんですけど、9歳でやめたんですよ。そのときに親から「ピアノはやめていいけど他の楽器をやりなさい」って言われて、10歳でドラムを始めたんです。週に1回、地元のドラムスクールに通ってました。
 
澤井:早いね。
 
——ご両親が音楽関係のお仕事とか?
 
鈴木:特にそういうわけでもなく、単に母親がすごく音楽が好きで、その影響ですね。ドラムを始めた当時、聴いていたのがQueenとかなんですけど、それこそ母親が1960年代生まれなので、70'sくらいの洋楽を主に聴いてましたね。僕も音楽はずっと好きでしたから。
 
——10歳でQueenを聴いてたら怖いものなしかも。
 
鈴木:ドラムのロジャー・テイラーがめっちゃカッコいいんですよ。最初は僕もロジャー・テイラーを目指してました。ただ、地元にいる頃はほとんどバンドはやってないんですよ。文化祭のために組んだことが1回あるくらいで、ずっとひとりで黙々と練習するだけっていう。で、高校卒業後に専門学校に進学するために上京して、そこからバンドを始めたりして、現在に至るという感じですね。ちなみに専門学校は澤井さんと同じところです。被ってはいないんですけど。
 
澤井:そうなんだよね。僕も小さい頃から音楽は好きでしたよ。幼稚園のときにピアノを習ってる友達から「ここがドだよ」とか楽譜の読み方を教えてもらったのをすごく覚えていて。たぶん、その頃から興味はあったんでしょうね。小学校のときは音楽クラブで小太鼓とかボンゴとか叩いてましたし、中学でも吹奏楽部に入ってました。
 
——ギターもその頃に?
 
澤井:中1のときに音楽の授業でギターを弾いたんですよ。そこでギターって面白いなと思って、家にあったギターを触り始めたのが最初です。当時、19(ジューク)が流行ってて、俺もずっと追っていて。でも高校で軽音楽部に入ったときにミスチルのコピーとかやろうとしたら「そういうの、やめろよ」って先輩に言われたんですよ。
 
鈴木:なんで?
 
澤井:もっと盛り上がるのをやれよって。で、メロコアとかやり始めて、ライブハウスに出始めたりもして。とりあえず音楽をやっていきたかったので、専門学校に行って、という。
 
 
 
文=本間夕子
 
 
続きは『FINLANDS BON』にて......
 
 
 
 
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